ブライトストン魔法学園 アナちゃんのひみつにっき☆

宇治文香


 わたしはレポート用紙の下から三分の一に大きな字で、アナ=ミドフィードと書いた。時々、タイトルに比べて署名が大きすぎると、注意される。わたし、自分の名前書くの大好きだもん。これって、自己愛に満ちているってことかな? 自己愛かあ……わたしを端的に表現する言葉って、三文字熟語が多いと思う。身勝手、理不尽、無邪気、破天荒……誰だー! 破簾恥なんて言っているのは!
 ぷんぷん。 創造魔法科棟の階段を歩いているとなぜだか笑顔になる。小学校の時の卒業式みたいに――証書入れの代わりにレポート持って、モデル顔負けで歩くの。背筋伸ばして、ピンク色のレポートファイル小脇に抱えて、最近の清純派アイドルの口元を意識して、二、三年前のダンスミュージック口ずさんだりできてしまう。ちょっとずつ加速していくビート。わたしの靴音も速くなってる。三階に着くまでに、すっかりご機嫌になって、付与魔法科の教官室まで見渡せる、目がちくちくするアイボリーの廊下をスキップしたくなってる。
 そうそう、大概の専門科棟の最上階は教官室群になってる。まっすぐな廊下に、ずらーっと教官の名前が書いてあるプレートが並んでいるのは……うん、ちょっと壮観。
 とりあえず、毎週金曜日、わたしはここに実験レポート出しに来るわけ。ファイルはA4のレポート用紙の上の方に二つパンチ穴を開けて金具とかで止めるタイプ。形は決まってるけど、色は自由だから、とりあえずピンク。わたしのクラス女の子が少ないから、ピンクだと目立つかなって思ったら、大当たり。誰もピンクのファイルなんて使ってないの。返却される時、一目瞭然で分かっちゃう。ファイルの山から、自分の分探す手間が省けて便利……まあ、そんなことはどうでもいいんだけど……わたし、パンチなんて学校に持ってきてないから、図書館に借りに行くの。本当は図書館から教官室まで行くのは一般科棟の階段を使う方が近いような気もするんだけど、うきうきできちゃう創造魔法科棟の階段を使うことの方が多いかもしんない。
 二階まで後二段って所で、いきなり、人の気配――一段飛ばしで階段を降りてくる足音とか、ちょっと激しい息遣いとかが聞こえた。
 ちょっと、びっくりして、上を見たら、ナント、先生だったの。それも、このピンクのファイル出す先生。あんまり、元気だから、わたし、とりあえず、壁にぴったり引っ付いて避けた。ひんやりした、壁がすごく気持ちいい。うーみゅ、ちょっと幸せ〜。
「あっ、ミドフィード。勉強さぼってるなー。駄目だよっ」
 なんのことか、一瞬、分かんない。多分、わたしはきょとん? って顔したと思う。
「魔力応用の試験。点数最悪っ。欠点かな?」
 普段のわたしだったら、いじけてしまうような台詞。でも、今は平気。だって、階段の魔法に魅了されちゃってるから。
「マジですかぁ? 結構勉強したのに……ぶぅ」
 本気で、今回は理解してた。だから、点数が悪くても、後悔はしない。てゆーか、解答見たら、ある程度理解していることは分かってもらえると思う。だから、さっきの台詞って、ちょっと不思議。
「うん。欠点……じゃないか、まあ、ギリギリ」
「ひょえ〜。最悪ぅ〜」
 そんな言葉ろくに聞こえてないと思う。「まあ、ちゃんと勉強しろよ」と、言い終わるまでに踊り場に着く勢いで、階段を飛び降りていく。わたしは半ば茫然としながら、でもやっぱり、ハッピーな気分で、三階まで登ったの。ちょっとステップが弱くなっていたけど、それって、仕方がないことよね。

 うん。テストの結果はすんごく悪かった――とは自分で思えなくなるくらい、最近調子悪いの。僅かな教科で良い成績取って、後は普通以下。勉強していない証拠だと思う。
 だっけっどっ、魔力応用の試験は初めのルーン(上位呪文)の綴り間違ったので、十二点も失ってたの! 今回は単語帳作って勉強したのに、そこから出たのはたった、二問だけ。こういうのヤマが外れたって言うのかもしれない。
 授業中、先生は何度も言うの。「こんなので、欠点取っている人は魔導師としてやっていけるとは思えません」って。でもね! ルーンの綴りで魔導師がやってける訳じゃない……そう、開き直って、その他の部分の理解度に満足してた。
「成績不振者は、教官室に来るように」
 その中に、わたしが含まれているのは、当然。教官室まで行く間に、言い訳とか、話すことを考えた。
 一般科棟と創造魔法科棟を結ぶ三階の渡り廊下は創造魔法科棟の階段のまるで、逆効果! 苛々して、気分が悪くなる。歩く気もどこかに消えていってしまって、顔を伏せて歩くの。いつもなら、見渡せるような白くて明るくて大好きな廊下も、その日は、暗くて重くて、目の下が窪んでしまいそうに思えた。
 教官室のドアをそっと開ける。泥棒みたいに、足音を忍ばせて奥に入る。
 先生と、その他の成績不振者がわたしを待っていた。「早く来なさい」と言われる。ノックしなくてよかったな、と思う。自分で自分を抱いて(はっきり言って、不安である。こんな風に呼び出されるのは!)先生の話を聞いていた。先生は「君達は賢者になった方がいいよ。魔導師としての、向いているとは思えないから」とわたしたちに言った。上位呪文のスペルが書けないのに、賢者としての道を歩くことを勧める? 賢者は魔導師と違って、ルーンを書くことを強要される。だから、わたしは言おうとしていたことを口唇のすぐ手前まで持ち出しておいた。
 私はルーンが書けませんでした。けれど、問題はある程度解けたつもりです。私はルーンが書きたくて、魔導師を目指しているわけではありません。うんぬんかんぬん。私がどれだけ魔導師になりたいか、熱く語らせてもらうつもりだった。
 先生は、入って来た順にこれから、どうするのか、たずねていくことにしたらしい。当然。わたしは最後になる。
 二人目が退学するつもりだと、言った。わたしはあっそ、と思っていた。
 それから、やりとりを聞いて口唇を噛みしめていたのは、五秒くらい。先生が畳み掛けるように、彼に言った台詞は、わたしにだけダメージを与えてた。全く無関係なわたしに! 頭が痛い。血圧が明らかに下がって、体中がもっと、もっと……と血を、酸素を呼んでいる。足ががくがくと揺れて、危機を伝えてくる。このままでは倒れてしまうっ。
 バタンっ

 みんなが、わたしの、異常に、気がついたのは、わたしが、教官室を、飛び、出た、時、だと、思う。

 先生怒ったかな……って、すごく、すごく心配になったから、コーシュに連絡を取ることにした。
 コーシュはわたしの理性であり、わたしの苦悩を半分受け持ってくれる人。遠い、ファーティルブリッジで暮らしている。何も説明しなくてもわたしの考えを予想できてしまう、希少な人。今は、彼と連絡が取りたい。
 鞄のポケットから、緑色の水晶球を取り出す。緑色の水晶って変かな……翡翠みたいな色してるけど、ただのガラス玉かもしれない。とにかく、ちょっとした魔力と魔法が付与された手のひらサイズの玉。ひとつひとつの玉に通し番号が付けてあって、どんな人でも数字の羅列を唱えるだけで、その番号を付けられた玉の持ち主と会話ができる。
 すっかり、暗唱できるコーシュの水晶球の番号を呟く。玉は緑色から黄色に変化する。
「もしもし、アナ?」透明になった水晶球がコーシュの声で、わたしの名前を呼ぶ。わたしはよっぽど機嫌が良いか、悪いかしないと、もしもしなんて言わない。
「あんね、あんね、コーシュ聞いてっ。わたしバカなことしちゃった。ほんとバカバカって、感じぃ?」
 相槌を打つ間もなく、わたしはマシンガンみたいにだだだだだーっと、成績の悪さと飛び出してしまった事実とその理由、後悔の念を伝えた。コーシュはすかさず、準備していたみたいに、言うの。大人の冷静な意見みたく、わたしが子供だって――嬉々として言うのよ……。
「教官室から飛び出すなんて、小学生みたいな行動止めようね」
 球から、コーシュが諫めてくれる声。悪いことしたかな、って反省するより後悔してる。頭――撫でるように軽く叩いて欲しい。切実に思った。

 灯りを消して、ベッドの上に寝転がる。緑の玉を引き寄せて、慣れた番号を唱える。暗い部屋の中では、ぼんやりと黄色い光さえ眩しい。瞼を抑える。眼鏡はどこに置いたんだろう……まぁいいや、明日には出てくるよね……。コーシュの声が聞こえるまでの一瞬のタイムラグ。意識が眠りの世界に引き込まれていく。
「はいはい。もしもし?」
 多分、コーシュは分かっている。わたしが本当はすごく機嫌を損ねていること。それは、怒っているとか泣いているとかじゃなくて、だけド、すごい打撃ナノ。疲れてしマウノ。
 イマ頼ルノハ、アナタシカイナイノ
 言い慣れすぎた台詞だった。けれど、台詞より先に感情がある。つまり、恒久的にわたしの心の中に存在している感情を端的に表した言葉。口に出したかどうか、話す端から記憶が曖昧になる。
 わたしは愚痴をこぼして、コーシュは相槌を打って……いつもの通り、コーシュはわたしを静かに見て、わたしは少し縋って見せて。甘ったるい、エチレンガスみたいな空気が遙か上空を埋め尽くして。
 気が済むまで、同じ話を繰り返す。「明日謝りに行くんだよ」という呼びかけを、無視できる明日の自分はすでに自分の中にいる。そんなことはどうでもいい……わたしが見た全てを聞いて。何回、同じ話を繰り返したろう。呼吸はすでに眠りの世界にほとんど預けてあり、意識も朦朧としている。
 しかし、すごく爽やかな、その話題がコーシュの口から持ち上がり、眠りの世界が突然光に包まれる。何も、見えない。瞼を擦る。ああ、眼鏡どこに置いたっけ。頭の上を手で探ると食べたらかしかしと言いそうな軽い物体がある。恐らく、眼鏡。普通、眼鏡は食べないよ……内心、突っ込んだら、少しだけ睡魔が隙を見せた。
「……んー? 今なんて? もう一回言って」
 コーシュはぽこぺん、と可愛く言う。魔法学園時代の彼の後輩が聞いたら、卒倒しそうなほど、甘ったるい声。わたしのエチレンガスみたいな怠い気にあてられているんだ。
「ファーティルブリッジ魔導技術大学で、魔法学園の四、五年生対象にした体験入学が夏休みにあるよって言ったんだよ。眠いの?」
 全くその通り。だけど、そんなの言ってらんない。
「だいじょぶ……。まんだ、起きてら」
 うーん、とコーシュは呻る。その意図が私には簡単に分かったけど、応じていると寝てしまいそう。
「アナの学科って、魔導技術大学ではどの学科になるんだっけ」
 頭の中で、ポチポチと、丸くて黄色いボタンが押されているような気分。とてつもなく、判断力が落ちている。ほとんど、無意識下で、私は答える。
「ふむふむ。じゃあ、そこの研究室は……魔力構造が二つあるね。アナも習ってる?」
 習っている。多分、習っている……確か、それは、こっちでは……ふにゃふにゃ……
「あーっ!!」
 叫んでしまった。
 コーシュは、どうした、どうした――と狼狽えている。
「ごめん、無理っ」
 どうしてっ! と、コーシュが訊ねてくる。その言葉、嫌いなのよ、と思う余裕があったりなかったりする。
「それ、さっき言ってた、魔力応用のことよ? 無理っしょ、今の成績でそっちの大学の研究室レヴェルなんて」
 レベルが妙にルーンじみた発音になる。気持ち悪い。コーシュは黙っている。気持ち悪いからではないと思う。この間は、ごめんとか言ってくる間だ。わたしには分かるもの。わたしの先輩たちの誰よりも、付き合いが短くたって、分かるんだいっ。だって、誰よりもその台詞言わせたから。言っても許さないで、言わないともっと許さないで、何度となく言わせたから。言わせない時こっちの方が謝りたいってこといい加減覚えなさいねっ。今日は言わせないから。珍しく先に謝ってやるんだからっ。
「分かったわよっ。頑張るわよっ。魔力応用クラスで五番以内に入ってやるわっ」
 ほぉら、謝った。えっへん。
 コーシュは「おー」と感心したように言う。感心したように? なんか悲しい。
「がんばれ」
 ハート印でも付けてきているんじゃないかと思うくらいご機嫌な声。とうとうおかしな気を発せられるほど、コーシュはわたしに汚染されたらしい。まあ、そんなことはとうの昔に判明していたけれど。
「待ってるよ。来年、こっちにおいで」
 わたしの周りは催眠ガスでも満ちているんだろうか。瞼が重くなっていくのに、口元が微笑を浮かべるのが分かる。照れ笑いとか誤魔化し笑いではなくて、ものすごく幸せで満ち足りた……

 さあ、夢を見ようかな。
 魔力応用で八十点取るような、夢ではなくて、その結果を。
 それって、しばらく、わたしの白昼夢?

★結局、応用力学は苦手なまま、進級してしまいました。でも、大学の体験入学の書類は出しました。全然別の分野で。担任に相談したら、「体験だからなんでもいいと思うよ」と言ってくれたので。
 今日、応用力学の試験だったんですが、相変わらずですね…。レポートの 名前は小さくなりましたよ。タイトルも小さくなったんですけどね(バラン スはあいかわらずかも)
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