心臓の巫女

宇治文香

 これは定め。この世に生を受けたとき、彼女が神から与えられた。
 だが、天使は彼女の前に舞い降りた。
 彼女たちは決して死ぬことはなかった。
 勘違いしてはいけない。この村で、死はありふれたこと。生よりも近くにある。寿命が何百年あろうとも、寿な命などどこにもなかった。
 彼女たちを除いては。
 その彼女たちさえ、生きることで精いっぱいだった。
 自分が何故生きているのか考えれば、生きたくもなくなるだろうが、考える暇さえ与えられない。何日も食べられない日が続く。
 今年は特にひどい。大人たちが、五十年以上前のことを思いだし、恐怖していた。子供たちは、家で膝を抱えて眠っていた。
 大人たちの悪い予感は当たる。
 悪い歴史は繰り返す。
 今度、殺されない理由などどこにもなかった。
 どこにも?
 逃げまどう村人の悲鳴が、炎の熱気と共に風に運ばれる。軽やかな風は今宵、死神の憂鬱を連れていた。その殺戮は正義の名の下。ただ、存在するだけで疎まれる民族に、抵抗する術はない。
 百十年と八ヶ月……。定めの日はあまりに早かった。
 少女は、震える膝を抱え、祈りの言葉を呟いた。村に伝わる古い預言、
『黄金の瞳の天使は、我々を永遠の呪いから解き放つだろう。数多の血、その瞳の巫女と共に』
 彼女は選ばれし者――血の色の瞳は、見る者の胸を射る。ゆえに、その名はラヴァドニカ――彼らの言葉で『心臓の巫女』という。
 壁の隙間から、外が見えた。焼け落ちていく村が見えた。黒い肌をさらに黒くさせ、ぷすぷすと音を立てている身体があちらこちらに散らばっている。
 振り上げられた剣が、緩やかな弧を描く。怯えて、動けなくなった子供の頭を砕く。
 ラヴァドニカは悲鳴の聞こえなくなった村を垣間見る。焼け落ちていく家と焼け焦げた大地の撓む音がはっきりと聞こえた。
 金属の鎧を付けた傭兵達が袋に何かを詰めていた。
「早く、ラヴァドニカを探せ」
 名を呼ばれて、少女は身を固くした。まぶたを閉じ、祈りを続ける。
 祈りの言葉も終わらぬ間に、木戸が甲高い音を立てた。鍵など掛けていない小屋に、入り込むことは容易である。ラヴァドニカは、覚悟を決め、祈りを止める。
 入り口から、物置の戸までおよそ四歩。ありふれた隠れ場所を見逃すはずがない。近付いてくる足音が聞こえる。
 あと一歩。ラヴァドニカは、自ら戸を開けた。
「みんな、死んじゃったんだ」
 そう自分に言い聞かせ、兵士を見つめる。図らずも男の心臓は高鳴った。屈み込み、少女の方へ手を伸ばそうとし、打たれるように立ち上がり、振り返る。
「報告は?」
 夕餉の内容を訊くような声だった。兵士の瞳から光が逃げていく。
「ラヴァドニカを発見しました、隊長」
 大きく頷いて、隊長はまっすぐ歩み寄ってくる。兵士はさっと、身を引いた。
「随分と小さなラヴァドニカだな」
 辺りのほとんどの村には、『心臓の巫女』がいた。だが、それもこの村で最後だ。それでも、全ての彼女たちと同様に、赤い鏡のような瞳に射竦められて、何某かに呵責される。
「最期の言葉は、やはり、『天使様』なのかな」
 良心の叫びを振り切るように、隊長は左頬を上げ、引きつった笑いを見せる。ラヴァドニカは何事も言わずに、目を閉じた。瞼の中に収まりきらず、涙が一筋流れる。
 彼は銀色に輝く大剣を鞘から引き抜いた。いつになく、装飾石が輝いている。腕の一振りで、少女の頸など落ちる。滅びし文化の形見。
 彼は、軽く剣を薙いだ。
 少女の首筋から、赤い血が勢いよく飛び散る――かわりに、赤い光を放射する。柄の石は黄金の光を帯び、二つは合わさって、年老いた太陽のように光る。
 隊長は剣を取り落とした。明らかに、その手は感電し、妖魔の肌と同じ色になっている。
 ラヴァドニカは目を開けた。
 右手下に大剣が転がっている。彼女はほんのわずかな迷いだけでそれを拾った。
 柄まで鋼のようだが、滑べらない。まるで、何年もの間使ってきたように、手に馴染む。薄い――鱗粉のような金の輝きが、剣全体を覆っている。
「この人間たちは、母さんを殺したの。父さんを殺したの。村のみんなを殺したの」
 そう、自分を励まし、強く剣を握る。
 剣は黄金の光を増し、ラヴァドニカをも、包み込む。
 剣を振るうのは、容易いことだった。そうして、砕ける頭蓋の音も、小さな裂ける勁動脈の感覚も……すべて、いつか、先祖たちが味わってきた。
 だって、わたしも、わたしも。
「そうだ、お前はヒトだ。例え、今、お前が人でないものであっても、お前の遺伝子はヒト以外の性質など表してはいない」
 なぜだろう。幼い少女一人では適うはずのない人間を、彼女は切り倒していった。いとも容易く。鬼神でも乗り移ったように、その場にいる生あるもの――無いものまでも圧倒する。
 彼女は誰よりも人であった。人の定義を『感性ある動物』とするならば。彼女は今、誰よりも怒りに溢れていた。
 みんな、死んでしまえ。どうせ、わたしなんか、この村がなきゃ、生きられない。
「例え誰が否定しても、わたしが保証しよう。お前はヒトだ。それ以外のなにものでもない」
 追いかけて、斬る裂く叩く。生きていられるものなど、どこにもいない。
 なぜだろう。少女の目から、涙が止まらない。風が死神とダンスを踊る。
 彼女は誰よりも人であった。人の定義を『社会的な動物』とするならば。もう、彼女の生きる場所はない。
 そして、誰も、いない、村に、少女が、ひとり。
 少女と、剣が、ひとつずつ。
「わたしは妖魔だから……。人を殺して当たりまえ」
 これは定め。この世に生を受けたとき、彼女が神から与えられた。
 神を人以前の者だとするならば、それは誤り。
「ヒトはヒトを殺して当然。それが定め。あなたが生を受けたとき、備わっていた」
 何度か聞いた気もするのだが、ようやく気がついた。いつの間にか、目の前に青年が立っていた。黄金の瞳と、自分と同じ銀色の髪をしている。
「これが永遠の呪いから解き放つということなの」
 天使は頷かなかった。まっすぐに、少女を見つめる。
「わたしの居場所はなくなってしまったのに」
 涙は枯れてしまったようだった。視界が赤い。
「私が存在する限り『ラヴァドニカ』の居場所がなくなることは無い」
 視界が揺らぐのを止めることができなかった。まぶたから血が剥がれて、涙と一緒に地に落ちた。
「天使様なのですね」
 青年は頷き、ほんのわずかな距離を縮める少女を微笑んで待つ。
 ぽふっ、とぶつかる感覚がして、彼女は天使の胸に収まった。
 天を滅びた文明とするならば、神を滅びた文明の絶対だとするならば、彼は天使だ。そして、少女はその主だ。
 ぽろぽろと涙をこぼす、彼女が主だ。

 天使たちは、今日も欠けた記憶を求めてさまよう。
 彼らが人と信じた人を信じて。

 だから、天使は彼女の前に舞い降りた。

メモレベルですが、どうしても、書きたかったので。長編の欠け片になる予定だったんですが。

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