輝く法治国家の不気味な象徴    明石工業高等専門学校 都市システム工学科 4年 宇治文香  死刑制度は存置した方がよい――あくまで私の個人的な意見である。  添付した資料では死刑制度は廃止するべきだと主張されている。同時に「世論は死刑制度の存置を望んでいる」こともうかがえる。それでもなおマスコミ・一部の法学者は死刑制度の廃止を主張している。  世界各国が死刑制度廃止――死刑を原始的なものとするからといって日本も右へならえで従ってよいものであろうか。そもそもどの国も日本に「死刑を廃止せよ」と圧力を掛けてきてはいないと考えられる。なぜならそのような圧力を受けて政府が死刑制度存置を望むとは考え辛いからだ。  世論も世界も死刑制度廃止を強く望んでいるわけではない。  それでも死刑制度廃止が現実になろうとしているのはなぜか。 <命の尊さ>  それが全てである。 「秩序は決して個人に優先しない」「刑罰による威嚇も犯罪防止のために必要ではあるが、限界はあり、それを行きすぎると副作用の方が深刻になる」  秩序は個人に優先すると私は思う。個人と個人の間に秩序がなければ、ひとりの人間としての「個人の自由」も「個人の生命」も守られない。  資料中の「副作用」とはつまり<一人殺しても二人殺してもどうせ死刑だ。もっと殺してしまえ>という犯罪者の心境のことだろうか。そんな愚かな考えを起こし多くの人を軽々と殺してしまう人間がいるのならば<どうか死刑にして下さい>と思う。  衝動的に殺人をしてしまい反省している――ならば死刑にはまずならない時代である。あまりに残虐な殺人の場合にはすぐに精神鑑定に掛けられ病院で療養させられる時代である。この平和な時代に一体どんな犯罪を犯せば死刑になるというのか。  計画的に複数の人間を一片の精神薄弱の症状も出さずに殺しそれを見てもなんら良心の呵責を起こさない――そんな人間と同等の「個人」として扱われるのならば私自身が死んでしまいたい。  これは個人的な感情です。土臭いろくな知識を持たない未成年の考えです。けれどもこれまで私はどんなに生活に困っても決して人様の物を盗まずに暮らしました。私を貧乏のどん底に突き落とした親も借金取りも殺さずに生き延びました。全ては私が日本の社会――法治国家が私を見張りそして守ってくれていると信じていたからです。  もし、もしもです。私の大切な人が残忍な事件に巻き込まれたのに犯人が軽い刑しか受けなかったら……今まで押し殺していた全ての犯罪の衝動をその犯人に向けます。  極刑はあった方がよい。  いつかはなくなるだろう。しかしそれは法が弱体した証拠でしかない。法が不必要な時代になった証拠でしかない。  少なくとも私にとって死刑は輝く法治国家の不気味な象徴でした。 そのように考える人がいるということを死刑制度廃止の際に忘れてはならないと思う。