偽りの湖

宇治文香

I want fourteen girls who have light blue eyes-the color the surface of the pretence water on a marsh.Then I shall give he a great ability-you shall able to do every.
(沼に張った見せかけの水面のような双眸の少女を十四人捧げよ。さすれば、かの者にお前達の望む万事を成す力を与えよう)

 噂とは全く違う扱いだった。暗い牢に閉じこめられもせず、姉妹は平穏な生活をしていた。
 平穏というには語弊があるほど、贅沢な生活が出来ていた。ベッドはふかふかとして、太陽の香りがし、毎日三食驚くほど豪華な食事が運ばれてくる。間食がいつでも出来るように、簡単なティーセットが部屋の片隅に用意されていた。
 どんなに騒いでも、とがめる者はいない。
 ただ、時折入ってくる、黒い衣装の男が恐いと思う。彼は姉妹のわがままを全てきいてくれた――例えば「今朝はオレンジジュースが飲みたい」「バラの刺繍入りのドレスが着たい」「紅茶が飲みたい」「ボンゴレが食べたい」……などと言って、叶わなかった願いは、今のところない。さすがに「帰りたい」「外に出たい」と言っても聞いてもらえなかったが。どんなにわがままを聞き届けてくれたところで雰囲気はおどろ怖ろしい。
 男が重そうに体を引きずって出ていった。鍵が掛かる音がする。続いて南京錠が填められる音。結局、ここも牢の一つなのだ。丈の長い服の衣擦れの音が遠ざかっていく。
「わあ、ハムサンドやんか」
 ブルネットの髪の少女が嬉しそうな声を挙げる。
「ハムはリズン経由?」
 褐色の方が少し眉をひそめて言った。その表情は違っても、銀を混ぜたような双眸の色は同じだった。
「食べれば分かるやろ」
 黄色のリボンをはためかせて、少女はサンドイッチの皿に飛びつく。花柄のティーセットにほれぼれする――のは、褐色の髪の毛の少女だけだ。彼女はスタンドに下げてあるカップに茶を入れた。
「わあ、いい香りやね……どうしたん?」
 ブルネットの少女は大粒の涙を流していた。
「あれ?わたしなんかした?なんで泣くのぉ、ポロネーズぅ」
「ん……。ごめんなさい。紅茶なんて外来物はリズンを通ってきたんだなぁって思って」
 ポロネーズは微笑んだ。涙が銀粉をまぶしたように眩しくきらめく。
 褐色の髪の少女も目を細めて笑った。いつもより、ずっと控えめな笑顔がポロネーズの心をますます切なくさせる。
「ごめんね、お姉ちゃん。もう、泣かないから」
 姉はもう、ハムを食べるのに真剣になっていた。
「ポロネーズぅ、これなぁ、リズン経由やないで。だって、リズンから来てるんやったら、もっと塩辛いはずやん」
 ポロネーズはサンドウィッチをかじった。涙でよく分からないが――よく分からないほど塩の味がしないともいえる。
「……塩が利いていないと、リズン経由じゃないの?」
「当たり前やん。ここ、ディーダやでぇ?こんなとこまで運ぶのに、どんだけ時間掛かると思うん?その間にこんな生ハムなんか腐ってまうで」
 ポロネーズは流れ出続ける涙を抑えることが出来なかった。涙が収まりそうになると、胸がつかえて吐きそうになる。
「ああ、もう泣くなって……ほら、バディネリ姉ちゃんが今度、リズン経由の超特級品を頼んだるから、泣くな」
 頭一つ低い妹の頭を優しく撫でる。ポロネーズは涙を止められなかった。
 バディネリの笑みはいつもより少しぬめり気を帯びていた。

「やだよー、お姉ちゃんと離れるのはいやー」
「うるさい。私はバディネリとだけ話があるのだ」
「みゃー」
 小さな手で姉を守ろうと奮戦する。
「うるさいなっ。My god, please give me his spirit...」
 ポロネーズはなんの抵抗もなく倒れた。一瞬、バディネリの顔から無邪気な笑みが消える。男が気配に気付いて振り返る頃にはまた笑みを浮かべ直している。
「ポロネーズになにしたんですかぁ」
「ちょっと眠ってもらっただけだ」
「大丈夫なのぉ?」
「……しつこいな」
 その響きに、ほっとした。彼は悪ぶってはいるが本当は、人との付き合い方を知らないだけ――そういう人種は時々いる。バディネリの生まれつき持っていた商人の勘が見抜いた。
「わたしだけに、お話ってなんですかぁ。楽しみ楽しみぃ」
 本当は不安で泣き出しそうなのだ。バディネリは彼の黒い衣装を振り回した。
「こら、引っ張るな」
 鍵を二重に閉めるのを後ろから見る。ここで、彼を倒せば、二人で逃げてしまえるのだろうか。バディネリは笑みを顔に張り付かせたまま、黒い服をぎゅうっと握った。
 廊下は闇に包まれていて、なにも見えない。信頼できるかどうか分からない彼だけが頼りである。
「なにも見えないよぉ」
 衣装を引っ張りつつ言う。彼は振り返り、首を傾げた。いつも被っているフードが落ちる。
 懐に手を入れて、なにやら取り出す。しばらくすると、火がついた。さっきのは火口箱か何かだったのだろう。
 視界が少しだけ広がる。バディネリは言わなければ良かったと思った。広がるのは悪魔のレリーフ群の景色。
「なに、これ」
「ん?神の御使いだ」
 二人の足音が響きわたる。反響と分かっていても、その音は二人分だけの物とは思えなかった。光の届かない暗がりの向こうに誰かが息をひそめているかもしれないと思う。
 バディネリはさらに強く服を握り込んだ。
「なんだ、またなにか用か」
「あのね、どこへ行くのか教えてくらはらへんの」
 男はいぶかるような目つきで見下ろしてくる。とびっきりの笑顔を作って、見上げてみた。
「ふん、小会議室のつもりだが、俺の部屋でもいいというならそうするが」
「どっちでもいいですほぉ」
 舌が回らなかった。男の顔がはっきり見えた。少し青白い穏やかそうな顔つきをしている。こんな怖ろしいところでなければ、好ましく見えたかもしれない。

『神託には従わなければならないんだ』
 バディネリは目を細めた。普通の人間なら、笑っているように見える表情――本当は涙を堪えている。
 彼女は十四人の少女のひとりだった。中でも白く濁ったような青に銀粉をまぶしたような瞳の姉妹は高司祭にも注目されていた。
 そんな前知識も今となってはなんの慰めにもならない。せいぜい、恐怖を和らげる程度のことだ。
 十四人は黒い服の案内で、暗い廊下を歩かされた。今は昼頃だと思うのだが、違うのだろうか……廊下は真っ暗でなにも見えない。見えたところで悪魔の壁絵でもあるのだろう。見えない方がいいのだ。
 いつの間にか二列縦隊になっていた。ポロネーズとバディネリは一番前で、手を取り合って歩いている。ポロネーズが手を握っていてくれなければ、バディネリは狂乱していたかもしれない。あるいは、その逆か。
 どれくらい歩いただろうか。
 重苦しい音を立て、扉が開かれた。
 さらに奥には、暗がりが広がっている。ただ、向こうには人の気配と火の気配がした。少し暑い。
「……お姉ちゃん」
 ポロネーズが震える声で言った。立ち止まったバディネリの開いている方の手を目の前の神官が引っ張る。
 ポロネーズは力一杯引っ張り返した。バディネリは自らの意志で、妹の手を握って、引っ張ってみた。ポロネーズは鋭い瞳で、バディネリを睨んだ。ギラギラと銀色に光って見える。爪の跡が残るほどお互い、強く握って、二人同時に広間に足を踏み入れる。
 どこまでも広がるかと思えるほど、広い広い空間だった。天井まで届きそうなほど、座席が積み上がっている。神官達は思い思いに祈りの言葉を神に捧げており、「うわぁーん」という子供の泣くような音しか耳に入ってこない。
 二人は無理矢理彼らの方を向かされた。そして、動くことを許されない――動けなかった。十四人の少女は横向きに並んだ。
 寄り添おうにも寄り添えない。それでもポロネーズとバディネリはしっかり手を繋いでいた。
 少女達の入ってきた扉と反対側のドアが開く。十四人の黒衣装が、一列に並んで現れる。そのまま、真っ直ぐに進んで少女達の眼前に立つ。
 バディネリは期待を込めて、顔を上げた。見えたのはつるりとした白い仮面だけだった。心を絶望だけが占めていくのが分かる。
「万事を成す力を!」神官達の声が合った。
 途端に、黒装束達がどこからともなく、ナイフを取り出す……と思う間もなく、バディネリの胸に、突き立てられる。
「……う」
 ポロネーズの呻く声が聞こえ、バディネリは、隣を見た。ポロネーズの向こう側にいたはずの少女達はどこかに消えていた。ポロネーズも消えようとしているところだ。
「ポロネーズッ」
 叫んだつもりだったが、息が漏れただけだった。命が抜けていくのが分かる。胸が熱かった。
「ポロネーズッ」
 手の中から、一回り小さな手が消える。バディネリはもう一度叫んでみようとした。
What do you want?
「ポロネーズを、返してっ」
 音など聞こえなかった。自分の声さえ、聞こえない。
Why do you want to do?
「ポロネーズはわたしのたった一人の妹なんや」
 なにも見えない。広がるのはただ、闇ばかり。
You are dieing now...all the same?
「そう、それでもわたしには妹が必要なんや」
Why don't look at your darkness?
「うるさーい。妹に会わせろ」
I don't believe such a story.You want my ability,don't you?
「力があればどうなるんや」
You can be weeping.
 闇が見えた。

 薄れかけていた、バディネリの姿が、見えてきた。どんどん、力強く生気溢れる形になっていく。ナイフが弾かれた。体の内側から、強い力で抵抗されたような感覚だった。例えば、このナイフは鋼鉄を通さない。
 のたうち回る蛇のように力が暴れる。十四本のナイフは空中を舞っていた。うち一本が、バディネリの前の神官の仮面を割る。
 姿を現したバディネリは両手で目を覆っていて、彼の姿を見られなかった。
「My god,please give me his spirit...」
 拒否される。神は今、バディネリしか見ていない。口々に祈りの言葉を唱えるがいつものような安らぎを得られない。皆の顔が悲しみに似た表情に沈んでいくのが見えた。それが、彼らの闇……全ての罪を許されてきた者たちの良心。それが光を見せる。光は恐怖を産むのだ。恐怖は闇を広げる。
 衝撃の嵐が徐々に収まっていく。
Please give me your desire.No one blame you.Because I love you.You weep,or die.
 再び、神の慈愛が自分に向けられてくるのが分かる。神官達は安堵の溜息をついた。
 ふらり、とバディネリが倒れかける。
 目の前の神官は急いで腕を伸ばした。しっかと、彼女を抱き留める。
 バディネリの頬は涙で濡れていた。

 バディネリは泣かなくなった。
 一度泣いたきり、涙を見せることはなくなってしまった。それだけ、辛かったのだろう。
「次祭様。わたくしをディーダ軍に入れてくださいませんこと?」
 無邪気な――少なくともそう見えた……笑みを見せることもなくなった。無表情になった。その方が彼女も楽らしい。
「君が望むとおりにするといい」
「ありがとうございます」
 少しだけ笑った。
 万事を成す力はすなわち、万事を成される力と等価だった。なにも望まなければ、彼女は生きている理由だけを与えられた。泣くことも笑顔さえも忘れて、彼女は生きてきた。彼女は生きることをすら望んでいなかったというのに。
 逃げたくもなるよな。
 彼女はどこかで泣くのだろうか。
 湖の水が枯れるまで、泣くことはあるのだろうか。
もう、笑いかけてくれないのだろうか。

 偽りの湖はいつまでも沼を隠し続けていた。どこまでも続く、誰よりも深い沼の姿を。

The end....


かなり、昔に書いたのですが、セリフ以外は割と好きです。
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